エドワード・ケネディ上院議員死す
2009年08月28日 エドワード・ケネディ上院議員死す
アメリカのエドワード・ケネディ上院議員が25日に亡くなりました。77歳でした。
エドワード・ケネディ氏は、もちろん、アメリカの第35代大統領ジョン・F・ケネディ(1917〜1963) 、そして、ケネディ政権下の司法長官で、上院議員ロバート・ケネディ(1925〜68)の実弟です。
確か、ケネディ兄弟の母親、ローズ・ケネディの著書に、支持者から「ケネディ家の精神を見せろ」と挑発された若きエドワード・ケネディが、全く初めてスキーのジャンプ台から跳んで、見事に着地する場面がありました。「王朝」と言われたケネディ家の輝かしい人材と、その影とも言うべき相次ぐ悲劇に関しては、あまりに有名です。「ケネディ家の悲劇」とは、そのケネディ家のチャレンジ精神がもたらす悲劇でもあったのでしょう。
エドワード・ケネディ氏は、兄たちの遭遇した悲劇とは違いましたが、「チャパキディック事件」と言われる1969年の秘書の死亡事故を引き起こしたこととその対処の過ちで、大統領にもなり得たはずの政治的な可能性が断たれました。
ブッシュ政権(2001〜2009年)下で、「ネオコン」と呼ばれる新保守主義がアメリカ政治の主流を占めたときには、リベラリズムはほとんど悪とされていたようでした。しかし、その中にあって、エドワード・ケネディ氏は、リベラル派の政治家として、イラク戦争開戦に反対の投票をしました。彼はそのことを、「議員生活で最高の一票」としていたようです(朝日新聞9月27日の追悼記事より)。彼はまた、2008年の民主党の大統領予備選でオバマ氏を推薦し、オバマ大統領誕生に向けて決定的な役割を果たしました。
ジョン・F・ケネディ大統領を筆頭として、ケネディ家の人たちは、民主党のリベラル派として重きをなしてきました。日本の政治家の間にも、ケネディ兄弟を理想として、政治改革を掲げてきた人たちが多くいます。今の日本の小選挙区制や二大政党制なども、そうした影響下に成立したものと言っていいでしょう。
つまり、アメリカでのオバマ政権だけではなく、日本の鳩山政権の誕生も、ケネディ家の存在なくしてはあり得なかったと言って過言ではないのです。(12月24日投稿)
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