公務員学科(公務員 専門学校)

その情熱、実現させよう。



北海道 2年制 独自のカリキュラムで全員合格をめざす 公務員学科 公務員事務コース 警察官・消防士コース

「英語の授業は英語で」

2008年12月23日 「英語の授業は英語で」

冬休みに入ると工学院関係のブログ素材がほとんど無くなるので、勢い、新聞記事などの時事ネタや、自然ネタ、生活ネタが多くなりがちです。そして、実は今日も、新聞記事なのです。堅い話ですが、辛抱してください。

さて、文部科学省は、12月22日に、2013年度の高校新入生から適用される学習指導要領の改訂案を発表しました。それによると、特に英語科目に関しては、「英語の授業は英語で行うのを基本とする」と初めて明記し、議論を呼んでいます。

高校の英語は英語で授業左は、12月23日の朝日新聞朝刊の一面です。「改定案のポイント」として、そのほかの科目についても箇条書きで要領をまとめてあります。細部ではいろいろあるようですが、全体として、学力の低下をもたらしたとして批判があった「ゆとり教育」の是正が図られているようです。

それにしても、一番目を引くのは記事の見出しにあるように、「英語の授業は英語で行う」という基本方針です。これは、確かに、分かりやすく、受け入れられやすい目標ですが、しかし、果たして、2013年度からとはいえ、高校の新入生に対し適用すべきかというと、首を傾げざるを得ません。

この基本方針は、「日本人は英語が苦手で、何年習っても英語が話せるようにならない」という、良く言われる、誤った固定観念に基づいているように思えます。本当に日本人は英語が話せないのでしょうか。むしろ、私の学生時代に比べると、現在は英語を話せる人が圧倒的にに増えています。実際に、テレビに出てくるさまざまな分野のかなりの人が、ある程度の英語を話します。私は、これは日本の英語教育の輝かしい成果だと思うのです。

私の時代は、ソノシートやリール式テープからカセットテープに移行する時期でしたが、ともかく、学習用の英語音声を手に入れることさえそんなに簡単ではありませんでした。それでも皆努力してある程度の英会話能力を身につけてきたのです。そこに本人たちの絶大な努力があるのはもちろんですが、そのベースには、日本の英語教育があるからです。

日本人にとって英会話をマスターする際のハードルが高いのは事実です。そのハードルとは、たとえば、

  • 日本語と英語の、言語としての根本的・絶対的な相違(欧米語同士はお互いに方言や親戚語にあたり、北海道の人が津軽弁や関西弁をある程度簡単にマスターできるのと同じに、相互に習得しやすい)
  • 自己表現が不得意で内気な、日本人の気質的な問題(ちょっとぐらいの恥や外聞を気にしないぐらいに神経が太くないと、会話練習の場すら成立しない)
  • 英語圏の人だけではなく、他国の人と接して話す機会がきわめて少ない日本の文化的な環境(外国人と見ただけで遠ざかる人が多い。その一方、英会話の練習台とみなして英語圏の、特に白人にだけ近づこうとする人もいて、総体的には社会的な未熟さがある)

などなど。しかし、それら多くの劣悪な条件を克服して、英語をある程度以上話せる人が、現在、これだけ増えているのです。

高校の英語は英語で授業2同日社会面の左の記事の中で、言語学者の鈴木孝夫氏が、

「スポーツや芸術では、授業だけで世界で勝負できるようになれないことはみんな理解できるのに、どうして英語(の授業)にそれを期待するのか。」

と正論を述べています。「英語をペラペラ話せるようになりたい」と簡単に言うけれど、これは実は同時通訳にも匹敵する高度な技能であって、誰もが可能であり必要である、ということはありません。学校の授業はあくまでもそこに至る基礎の部分を教えるのであって、それ以上は、本当に必要な人が、希望し努力して学んでいけばいいのです。今、英語をペラペラ話せない人は、これまでその必要性が無かった人、従ってその努力をする必要もなかった人だと思います。努力と能力がなければ、「英語をペラペラ話せる」レベルには到達しないのです。

実は、私も、かなり前の話になりますが、かつて、我が家にホームステイで受け入れた香港の人から、「日本では英語の授業を何で英語で行わないのか」と質問されたことがあります。私は、確かにそれも一理あると思い、当時存在したLL教室で、私なりに英語による英語の授業を試みたことがあります。その時の印象は、教師は一応のプロですから、何とか英語で授業をし得たとしても、ほとんどの学生にとってはちんぷんかんぷんな授業になり得るということでした。結局、通じたのは、きわめて単純で明快な伝達内容、指示のみでした。これが英語科であれば学生の意欲もあるかもしれないし、教師も習熟していれば伝達内容も濃くなるかもしれないし、中学・高校と英語による授業が蓄積されてきたら、もう少しスムーズな、実りのある授業になり得るかもしれません。要するに、そこで得た結論は、「すべてにおいて条件が揃わなければ、日本語で授業をした方が効率的」ということでした。

もちろん現在の英語教育は、その時よりもずっと改善されているし、今後もいろいろ改善されていくでしょう。また、日本に入ってくる英語圏の人がもっと増えてきたり、インターネットの普及につれ英語がより身近になってきたり、日本語の中に生(なま)の英単語がさらに多用されるようになったりしてくるでしょう。英語学習に向いたそれら文化的な環境や条件が次第に整ってきたときに改めて、英語の授業を英語で行うことの是非を検討すべきだと思います。

n-25592543 at 12:0 | この記事のURL | |