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J'aime Paris! (5)シュノンソー 貴婦人たちの城

2008年06月08日 J'aime Paris! (5)シュノンソー 貴婦人たちの城

フランス旅行について、一つ一つをまとめるのにずいぶん手間がかかっています。

美しきかな シュノンソー前回の第4回(アンボワーズ城)から間が開いてしまったので、その時の予告に使った、シュノンソー城のパンフレット表紙画像をもう1回、掲載します。シュノンソー城の公式サイトにも同じ写真が使われています。結局、これが一番、城の美しさも実感でき、全体の位置関係も理解できるからでしょう。

シュノンソー城は、16世紀に建てられ、後期ゴシックと初期ルネッサンス様式が混在した建物だそうです。ここもまた、ユネスコの世界遺産「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」に含まれるお城です。フランスではヴェルサイユ宮殿に次いで2番目に観光客が多いお城だとか。その人気も、この建物の美しさを見ると分かります。

スフィンクス像より正面を望む

これが、正面からの写真です。シュノンソー城へは、私たちは右手の農場の方から城に向かい、カトリーヌ・ド・メディシスの庭の方から入っていきました。ですから、実はこれは帰る時に撮った写真です。

このスフィンクス像を見ても、後日、パリのコンコルド広場のオベリスクを見たときも、フランスは想像以上にエジプトやアフリカに文化的に近い国なんだと思いました。スフィンクスはエジプトが起源で、王家のシンボルだったようです。古代ギリシャでは怪物扱いですが、そのスフィンクスの謎を解いてオイディプスがテーバイの王になるのは、スフィンクスが王家のシンボルだったことに関係があるのかもしれません。

城側を背にして上の写真撮影地を城側に少し進み、そこから、180°回転し、城を背にすると、こういう風に見えます。狛犬のような左右のスフィンクス像の向こうに、遠くまで見通せる直線道路があり、両側に並木がある風景、というのは、いつ、どこで見ても、快さを感じます。

この奥、並木が尽きるところに、「Chenonceau」と掲げられた城の敷地への入り口があり、切符売り場があり、駐車場やトイレもありました。左右は森に囲まれているようですが、左側が農場やワインを試飲したワインセラーがあり、私たちはそこを通って城に向かいました。右手の森の中にも迷路や散策路などがあるようです。

カトリーヌ・ド・メディシスの庭から見るシュノンソー城

さて、城に向かって右手前にあるカトリーヌ・ド・メディシスの庭から見たシュノンソー城です(娘の写真を借用)。左の円柱状の建物は「マルクの塔」で、今はお土産の売店になっていますが、もともとあったマルク家の城の一部だったようです。

 

 

下流側から見る

近くに寄ってみると、お城の基礎部分はこういう風に、川の中にあります。このシェール川は、ロワール渓谷の、ロワール川の支流だそうです。城の第1層はギャラリーとなっていますが、向こう岸にも通じる橋の上に作らせたのだそうです。向こう岸への出口の扉にはルネッサンス様式の暖炉が装飾についています。見ているはずなのですが、写真に撮っていず、記憶にもありません。

ギャラリーは、当初、舞踏会場としても利用されたようです。第一次世界大戦中は、病院に改装されて使われていました。また、第二次世界大戦中は、こちら側のナチスの占領地区から向こう岸の非占領地区への脱出路としても利用されたようです。

上流側はこうなっている

これがお城の足下の、上流側です。確か、橋脚の真上に設けられている厨房の窓から写した写真です。川上側なので、水流に対し流線型になっています。これが500年以上前の元のままなのかどうかは分かりません。少しえぐれた跡が見えます。

厨房も、ぐるりと見て回りました。ギャラリーと厨房、それに礼拝堂や書斎などは、良い写真がないので残念ながら掲載できません。

フランス革命の時、当時の城主、ルイーズ・デュパン夫人の人徳と、橋としての価値とで、この城は破壊を免れたそうです。その分、ある程度の家具や道具が残っていて、厨房にもさまざまな調理用具などが展示されていました。特に礼拝堂や書斎は、写真を撮ってくるべきでしたが、今のところ見あたりません。ビデオには撮っているかも知れません。

ルイーズ・デュパン夫人(1706〜99)は、交友があったヴォルテールやモンテスキュー、ジャン・ジャック・ルソーら啓蒙派知識人を多く招いたそうです。特に、秘書兼息子の家庭教師として雇われたルソーは、教育論『エミール』を、この城に滞在中に執筆したとか。ルソーが滞在したのと同じ空間を自分が歩いているのかと思うと、嬉しくなりました。

ヴォルテール:(1694〜1778)フランスの啓蒙思想家。百科全書派。イギリスの社会制度や思想傾向を評価する一方で、それとの比較でフランスの体制や文化を批判した。主著『哲学書簡』、小説『カンディード』など。

モンテスキュー:(1689〜1755)フランスの啓蒙思想家。政治思想家。百科全書派。ジョン・ロックの影響を受け、自由主義的な政治思想を展開。主著『法の精神』の三権分立論は、公務員試験の政治学で必出。

ルソー:.(1712〜78) フランスの啓蒙思想家、小説家。自然状態を人間の理想とし、「自然に帰れ」と説いた。『社会契約論』などで人民主権思想を説いてフランス革命の先駆となった。『エミール』の他に、『人間不平等起源論』、『告白録』など。政治学や倫理思想で必出。

正面バルコニーと屋根

話が少し先走りました。

城の建物の正面を見上げたところです。

後で掲げる庭の写真は、2階のこのバルコニーから写したものです。

 

フランソワ1世の居室

いよいよ、内部に入ります。フランソワ1世の居室です。この暖炉は、ルネッサンス様式の、もっとも美しい暖炉と形容されているようです。

フランソワ1世は、1515年〜1547年に在位したフランス国王で、すでに紹介したシャンボール城にもアンボワーズ城にも関わる人物です。

城内での写真はボケたりブレたりしているのが多いので、すみません。また、私の家族や、ツアーの同行者が写っているこ写真は避けたいので、結果的に掲載できる写真が限られてしまいます。

 

ルイ14世のサロン

これは、ルイ14世のサロンです。これも、ルネッサンス様式の暖炉のようです。暖炉の上方にはフランソワ1世の紋章であるサラマンダーの装飾が付いています。

ルイ14世は1650年7月14日にこのシュノンソー城を訪問しました。それを記念して作られた部屋のようです。暖炉左側に見えるのはルイ14世の肖像画かもしれません。

 

 

 

カトリーヌ・プリソネのホール

二階の、カトリーヌ・ブリソネのホールです。逆光になっているのが残念ですが、両側にはタペストリーが下げられています。飾られた花にも、この城の魅力の一つが感じられます。現在の城の所有者は民間の企業家だそうですが、城に対する細やかな愛情、行き届いた管理が伺えます。

カトリーヌ・ブリソネとは、この地に元々あったお城をマルク家から買い取って、シュノンソー城に建て替えたトマ・ボイエ(徴税長官でシャルル8世の侍従を務めた人物)の妻です。夫婦の努力でシュノンソー城は素晴らしい建築物として世に現れました。その息子の代で、フランソワ1世の手に移り、以後、この城は王家の所有となったようです。

 

5人の王妃の部屋

「5人の王妃の居室」と呼ばれる部屋です。

5人とは、カトリーヌ・ド・メディシスの実の娘・義理の娘で、いずれもフランスやスペインの王妃になった彼女たちを記念して、この部屋を名付けたようです。

 

 

カトリーヌ・ド・メディシスの居室

カトリーヌ・ド・メディシスの居室です。といっても、ここは特に暖炉の写真だけなのはすみません。各部屋には暖炉とベッド、それにライティングデスク、椅子、それに卓上に花、壁には絵などが飾られ、それぞれの特徴があったはずなのですが、案内書を見ないで回っていたので、つい暖炉業者か内装業者が写して歩いたような写真が多くなってしまいました。

カトリーヌ・ド・メディシスは、当時の文化的な先進地イタリアからフランスに嫁いで来る時に、フォークやアイスクリーム、マカロン、フロランタンなどを伝えたそうです。添乗員さんの話では、フォークが伝わるまでは、フランスでは手づかみで食事することが主だったようです。

 

カトリーヌ・ド・メディシス:(1519〜89)イタリアのメディチ家から、フランソワ1世の2男に嫁ぎ、フランソワ1世の長男が毒殺されたときは関与を疑われたが、首尾良く夫(アンリ2世)に王位を継承させた。夫が馬上槍試合で事故死したあとは、3人の国王(フランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世)の母として、30年にわたり政治的な後見をする。マキャベリの『君主論』を読んでいたとも、『ノストラダムスの大予言』などの占いを好んでいたとも言われる。

メディチ家Medici):14C以来栄えたイタリアのフイレンツェの大富豪一族。銀行家・政治家・教皇を輩出した。学問・芸術を保護し、ダ・ヴィンチやミケランジェロら多数の芸術家のパトロンとして、ルネサンスの全盛期を築いた。しかし、ローマ教皇レオ10世(ジョヴァンニ・デ・メディチ)は免罪符を発行し、宗教改革のきっかけも作った。

ユグノー戦争:1562〜98年にかけて断続的に8回行われたフランスの宗教戦争。カトリック(旧教)側と改革派(新教)の争いに国内外の貴族間の勢力争いがからんで内乱状態に陥った。ナントの勅令で終結。なお、「ユグノー」は、フランスでのカルヴァン派への蔑称。

サン・バルテルミの虐殺:ユグノー戦争のさなかの1572年8月24日に、カトリーヌ・ド・メディシスの娘と後のアンリ4世の結婚式において旧教徒側が新教徒を大量虐殺した事件。カトリーヌが絡んでいたとの説もある。

ナントの勅令:1598年4月13日にアンリ4世が発布。新教徒に対して旧教徒とほぼ同等の権利を与え、ユグノー戦争は終結した。近代ヨーロッパでは初めて個人の信仰の自由を認めた。フランスの国家統一・大国化の出発点になった。

マキャベリ:1469〜1527。イタリア・フィレンツェの政治学者・歴史家。主著『君主論』は、カトリーヌの父に献じられ、1532年に刊行された。政治を宗教や道徳から切り離して現実主義的な手段を取るべきであると論じている。

ノストラダムス:1503〜 66。フランスの医師・占星術師。主著『ノストラダムスの大予言』。

サン・シュルピス教会の近くの店でマカロン:小球形の焼き菓子の一種。左写真(娘から借用)下に5個並んでいるのがマカロン。

フロランタン:「フィレンツェ(フローレンス)の菓子」という意味の、焼き菓子の一種。写真資料なし。

 

ルイーズ・ド・ロレーヌの居室

3階のルイーズ・ド・ロレーヌの居室です。

ここは悲しみの部屋です。夫のアンリ3世が暗殺されたあと、瞑想と祈りのためにルイーズ・ド・ロレーヌが引きこもって暮らしたそうです。全体が、暗い陰鬱な色調で統一されていて、他の部屋の印象とは全く違っています。

 

この他にも、多くの部屋があり、多くの場所で撮影してきたのですが、前記の理由で割愛します。

さあ、お城の正面2階のバルコニーから見える、堀で区切られた3つの庭です。

カトリーヌ・ド・メディシスの庭第一は、城から見て左側の、カトリーヌ・ド・メディシスの庭です。私たちはこちら側から城に向かってきました。最初に城を写したのもこの庭からのものです。

右端にマルクの塔が少し見えています。

 

マルクの塔

次いで、城から見たマルクの塔です。元々あったマルク家の城はほとんど壊した中で、この塔だけが残され、ルネッサンス様式に作り替えられたそうです。今は売店になっています。右側に見える井戸も、マルク家の時代のもののようです。

右奥に少し見えるのが、スフィンクス像の間を通っている正面の道路です。

 

 

 

城から見た前庭

前庭です。本来のマルク家の城(城塞)はここにあったようですが、買い取ったトマ・ボイエがそれを取り壊して、水車と橋があった場所に、現在のシュノンソー城を築いたようです。そのため、現在は前庭として、城への通路になっています。

左端にマルク家の井戸が見え、その奥に、スフィンクス像へと続く道が見えます。(拡大すると見えます。)

また、右奥に見えるのは、下の写真のディアーヌ・ド・ポワティエの庭の入り口にある管理人の家で、16世紀に立てられているそうです。壁には藤のツタが絡まり、満開でした。日本のような藤棚ではなく、このように壁にはわせて咲かせているところを何カ所か目にしました。(これも拡大すると見えます。)

ディアーヌ・ド・ポワティエの庭園

最後は、ディアーヌ・ド・ポワティエの庭です。彼女はアンリ2世の愛人で、シュノンソー城は、当初、アンリ2世が彼女に与えたものでした。

アンリ2世が事故で死ぬと、嫉妬に苦しんでいたカトリーヌ・ド・メディシスが直ちにこの城の明け渡しを彼女に求め、代わりにショーモン城を与えたそうです。カトリーヌは、夫が彼女に与えていた物品のリストを作っていて、そのすべての返還を迫ったといいます。

ロワール河畔の城(ショーモン城)川の向こうに小さく見えるのが、ショーモン城です。これは、実は、前回、一般的な「ロワール河畔の城」として紹介した写真です。

今回、関係するサイトをあれこれ見ていて、ショーモン城の公式サイトに載っている写真に思い当たるところがあり、この写真を拡大して比較してみました。城の形も、手前の家の並びも、川岸への小道もほぼ一致していて、これがショーモン城だと断定しました。

添乗員さんの話を聞きながら写真を撮っていることが多いので、たぶん、この時も指摘されて撮影し、そして、話の方はそのまま忘れてしまったものだと思います。

写真のショーモン城は、小さく見えますが、インターネット掲載の記事をあれこれ見ると、これも中々魅力のあるお城のようです。次回のフランス旅行では、ここもぜひ訪問してみたいと思いました。

主な参照ページ:

特に佐野氏の他のページも見る機会が多いのですが、美しい写真と文章で、フランスへの愛着が深く感じられます。私も、もっと写真らしい写真を撮ってくるべきだったと反省しきりです。

遙かに見えたモン・サン・ミッシェルさて、これで、ようやくフランス2日目で訪問した主なところは終わりました。

次回は、3日目のモン・サン・ミッシェル島などです。(この写真も、娘から借用しています。)

今度は、公務員試験の出題項目にはあまり関わりがないと思われるので、早く、短く掲載する予定。


半年以上にわたって掲載させていただいたこの「J'aime Paris! 」シリーズも、全21回で完結しました。バックナンバーは下記のとおりです。ぜひ、ご利用下さい。

  1. J'aime Paris!  私♡パリ
  2. J'aime Paris! (2)シャルトル大聖堂
  3. J'aime Paris! (3)シャンボール城
  4. J'aime Paris! (4)アンボワース城
  5. J'aime Paris! (5)シュノンソー 貴婦人たちの城
  6. J'aime Paris! (6)モン・サン・ミシェル
  7. J'aime Paris! (7)サン・マロ
  8. J'aime Paris! (8)オンフルール
  9. J'aime Paris! (9)ルーヴル美術館
  10. J'aime Paris! (10)ヴェルサイユ宮殿
  11. J'aime Paris! (11)ユーロ紙幣
  12. J'aime Paris! (12)国民議会
  13. J'aime Paris! (13)オペラ座
  14. J'aime Paris! (14)コンコルド広場
  15. J'aime Paris! (15)マドレーヌ寺院
  16. J'aime Paris! (16)エッフェル塔
  17. J'aime Paris! (17)パリのスーパーマーケット
  18. J'aime Paris! (18)サン・ミシェル広場近くのアパルトマン
  19. J'aime Paris! (19)シャンゼリゼ大通りを歩く
  20. J'aime Paris! (20)教会と乞食
  21. J'aime Paris! (21)最終回:ノートル・ダム大聖堂など

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